La Vento 368 (2015)

La Vento

N-ro 368   2015. 10・11月号

Suita Esperanto-societo
吹田エスペラント会会報  発行:矢野義男 吹田市山田東2-25-13
郵便振替 00970-0-319578   年会費 6000円  準会費 2400円
ホームページ http://suita.chu.jp


エスペラントふれあいコンサート終わる!

11月3日(火・祝日)午後1時 ~4時に吹田市のメイシアター小ホールで、吹田市民文化祭エスペラントふれあいコンサートが開催された。参加者は62名。吹田エス会の参加者は佐藤、矢野博幸、矢野明徳、松井、大畑、松田、近藤、矢吹の8名。
初めに吹田市の後藤圭二市長から「平和を孫、子の代まで伝えていきたい」と挨拶があった。市長が吹田市の水道部に勤務されていた時にアルミ缶入りの水道水の名前を他に類のないおしゃれな物にしようと考えてエスペラント語で「プリボーナフォントPli Bona Fonto(よりよい泉)」とつけたそうだ。休憩時間に元吹田市水道部に勤務していらしたエスペランティストの宮本さんとお会いしたら、「僕らがやったんだよ」と教えてくださった。この缶入りの水は、20年ほど前に吹田で開催された日本エスペラント大会の時に「いくらでも飲んでください」と会場でふるまわれたのを思い出したと、佐藤守男さん。市長の口からエスペラント語の言葉が出たのは、初めてだったので、感激。
会長の矢野義男が急用で出席できなくなったので、急遽、副会長(佐藤守男)が挨拶をした。
オープニングは吹田第六中学校PTAコーラス同好会とヘリーコ(エスペラントコーラスグループ)との共演。まず最初にエスペラント語で “Esperanto estas la lingvo por ni” “Pasintaj tagoj”(蛍の光)の2曲が、次いで浅田さんの解説の後、『唐丹の海から世界に』が歌われた。さらに『お江戸日本橋』、最後に手話コーラスで『君をのせて』が歌われた。
いよいよお待ちかねの野田淳子さんのコンサート第1部が始まった。伴奏のピアニストは嶋村よし江さん。
『すべてが贈り物』『庭の千草』『月の庭』『愛のよろこび』『広い河の岸辺』『この夜をこえて』『時を超えて』の6曲。
今回初めて披露された唱歌『庭の千草』では、アイルランドの原曲は咲き遅れた薔薇の花を歌っていたのに日本語の歌詞では白菊になってしまっていたことなど、1曲ずつわかりやすく解説をしてくださった。「河は広く渡れない 飛んでいく翼もない もしも小舟があるならば 漕ぎ出そう 二人で」の歌詞のあるスコットランド民謡『広い河の岸辺』は苦難を乗り越える希望の歌として被災地で愛されているそうだ。平和を願って闘い、獄中で亡くなったエスペランティストの青年を歌った 『時を超えて』は、amiko(友達), muziko(音楽), popolo(民衆), paco(平和)の四つのエスペラント語を織り込み「真実を見る目を 自由を語る声を 抱き合う両手を 奪われはしない」と会場を巻き込んで力強く歌われた。『すべてが贈り物』『庭の千草』はエスペラントと日本語で、『愛のよろこび』はエスペラント語とフランス語と日本語で歌われた。野田淳子さんの美しい透き通る歌声に会場は酔いしれた。

休憩の後、吹田エスペラント会の佐藤守男からエスペラント語の概略紹介と、第100回世界エスペラント大会(フランス・リール市)で集めた平和のメッセージ60余が映像で紹介された。署名してくださった方々は、フランス、ベトナム、韓国、中国、ネパール、イラン、ドイツ、フィンランド、スウェーデン、ポルトガル、デンマーク、スペイン、カナダ、アメリカ、コンゴ共和国、キューバ、ペナン、ギリシャ、ブラジル、メキシコ、アイスランド、ポーランド、チェコ、パキスタン、インドネシア、オーストラリア、アンゴラ、マダガスカル、ブルガリア、ハンガリー、ウクライナ、リトアニア、ベルギ-の33か国。本当に世界中からの平和の願いが日本政府に届いてくれたらと・・・改めて強く願った。

野田淳子さんの「いのちと暮らしをうたう」コンサート第2部は金子みすすゞの詩に曲を付けた『大漁』『星とたんぽぽ』『積もった雪』『私と小鳥とすずと』『この道』の5曲と
『アリラン』『日照り』『死んだ男の残したものは』『大きな歌』の計9曲。『大漁』は反戦歌。見えないところに大切なものがあると歌った『星とたんぽぽ』。みんなちがっていることが素敵でいいことなんだと歌う『私と小鳥とすずと』は、手話を付けて会場全員で歌った「いい、すてき」の手話は鼻の下で右手の手のひらを下に向けて左から右へ動かすが、「立派なひげ」を表すのだそうだ。寂しくても辛くても、人生いろいろあろうとも みんなで手をつないでこの道を行こうよという『この道』の曲にも励まされた。韓国の曲2曲、『アリラン』はハングルとエスペラント語で、自然災害のひどさをさらりと歌った『日照り』は「竹藪が枯れると国が亡ぶと人は言う」という歌詞が印象的だった。戦禍に苦しむ人々の苦しみや悲しみを思いながら『死んだ男の残したものは』を聴いた。この曲に関して興味深いエピソードを話してくれた。この歌は6番まであるが、小西岳さんは5番までしかエスペラントに訳さなかったし、歌手の高石ともやさんも6番は歌わなかったそうだ。お二人とも6番の歌詞が気にいらなかったようだ。高石さんが作詞の谷川俊太郎さんと作曲の武満徹さんに「歌わなくていいか」と聞くと、二人とも「好きにしていい」と答えたそうだ。最後は野田さんの旦那さんが若い時に作詞作曲された『大きな歌』をエスペラントと日本語で会場全員で大合唱して終わった。コンサート全体を通してエスペラントの紹介をたくさんしていただいたことも嬉しかった。
4年前にも吹田のエスペラントふれあいコンサートに野田さんをお迎えしたが、この間に野田さん自身がより国際的な歌手をめざして成長されていることがわかり、日頃から切磋琢磨されている野田さんの生き方に感銘を受けた。また、今回は野田さんに寄り添うように、曲のイメージを膨らませて演奏されていた嶋村よし江さんの素晴らしいピアノ伴奏にも感動した。野田さんの透き通った美しい歌声が心に染み入り、体がすっきり軽やかになり元気をもらった一日だった。
終了後、レストラン(ローゼンタール)で野田さんを囲んで短時間だったが懇親会をもった。(12名の参加)                             矢吹

☆☆ 浅田さんがコーラスの中で話された『唐丹の海から世界へ』の説明文です。
「唐丹の海から世界へ」
「唐丹の海」って、どこにあるんだろう? 皆さんご存じですか?
東北新幹線で仙台から盛岡行きに乗ると、6つ目の駅が「新花巻」で、そこから釜石線というローカル線が走っています。その終着駅のある岩手県釜石市に「唐丹町(とうにちょう)」があります。同じ市内 とは言っても 釜石は釜石湾の港町で、唐丹町は、1つ南の「唐丹湾」の漁港・・・吹田と伊丹ほど離れているのです。 唐丹小学校のあった集落に70軒あった家は全部津波で流されて、土台が残っているだけ。地区全体が移転するように決められていて、3年経った今も仮設住宅住まいが続いています。
この歌を書かれた堀泰雄さんは群馬県に住んでいられますが、エスペラント繋がりで 以前から交流のあった方々の応援に、東北各地を度々訪れては、その都度見聞きした事や感想等を日本語とエスペラント語の両方を使って、 インターネットなどで発信し続けていられます。その結果、海外からも応援が届いているのだそうです。
それでも、小中学校合わせた生徒数が104人という小規模な集落は、TVや、新聞に取り上げられることもほとんどなく、全世帯移転という政策の影響で復興には程遠いようです。堀さんたちは、せめて震災の年に入学した小学生が、中学を卒業するまで支援を続けたいと、頑張っておられます。
「子供達への応援歌として、また 震災を語り継ぐ歌として、多くの方に歌っていただきたい」 という堀さんのメッセージを受けて、今回のプログラムにこの歌を加える事に致しました。どうぞお聞きください。

コーラス

第100回世界エスペラント大会

野田淳子さん

☆☆ 参考に『死んだ男の残したものは』の歌詞を6番まで載せます。皆さんは6番をどう
思われますか。
死んだ男の残したものは   作詞 谷川俊太郎  作曲 武満 徹

死んだ男の残したものは ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった 墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった 着物一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった 思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残さなかった 平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは 生きてる私生きてるあなた
他には誰も残っていない 他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは 輝く今日とまた来る明日
他には誰も残っていない 他には誰も残っていない