La Vento 339 (2012)

La Vento

N-ro 339   2012. 11月号

Suita Esperanto-societo
吹田エスペラント会会報  発行:矢野義男 吹田市山田東2-25-13
郵便振替 00970-0-319578   年会費 6000円  準会費 2400円
ホームページ http://suita.chu.jp


吹田市民文化祭終わる!

吹田市民文化祭エスペラントふれあい講演会が吹田市メイシアター小ホールで、11月3日(土)午後1時から4時まで開催された。参加者は57名。吹田エス会からは、佐藤、松田、矢野会長、藤田、矢野博幸、松井、大畑、矢吹の8名が参加。準会員の山崎さんやグアテマラ通信を届けてくださった宮本さんも参加されていた。司会は後藤美和さん(京都エス会)。
吹田エスペラント会会長と市長の挨拶の後、吹田第六中学校PTAコーラスと
Helikoが一緒にアカペラで「旅愁」と「エーデルワイス」をエスペラント語で歌い、次にPTAコーラスだけで、「生きてる、生きてく」と「花」、手話付で「見上げてごらん夜の星を」が歌われた。
講演会の第一部は、渥美半島から来られた、愛善みずほ会理事の小久保秀夫氏の講演で、演題は、土作り名人の遺言“農の営みからみえてくるもの”。

小久保さんは、韓国や中国、北海道はじめ日本各地で農業指導に行かれている。人に頭を下げるのが嫌いなので、どんな職業が頭を下げなくていいかと考えた末に農業をすることにした。農業は隣の人がするようにやればいいから楽だ。・・・
農業は馬鹿にならなければできない。馬鹿が勉強をして利口になってもう一度馬鹿にならなければできない。・・・・国の補助金はいっさい受けていない。人に頭を下げるのがきらいだから。・・・息子には借金魔王と言われていた。経営がうまくいくようになったと思ったら、今度は息子に経営権が行ってしまったと。(そして、自由になったので、あちこちに呼ばれて農業指導に行くようになられたようだ。)
まず、農業知識について話された。
種は早めに買って、冷蔵庫のドアポケットに1ヶ月以上入れておいてから撒くといい。寒い冬を経験しないと発芽しないから。
家庭菜園の失敗の原因は肥料のやりすぎが多い。植物は自分の体でエネルギーの元のブドウ糖を作る。ブドウ糖は炭素と水素の化合物。二酸化炭素を空気中から取り入れ、葉の中で酸素と炭素に分解し、炭素を取り入れ、いらない酸素を捨てている。水素は水のなかに存在する。根から水を吸い上げ、葉へいって光分解する。水素をとって酸素を捨てる。そして、取り入れた炭素と水素からブドウ糖を作る。肥料の三要素は窒素・燐酸・カリだが、その中で一番必要とされる窒素の60倍も植物は水素を必要としている。肥料は、適量をやるのがいい。生育が悪くなったからといって、むやみに肥料をやると枯れてしまう。野菜を育てる人は水をいっぱいやってください。
農業は自然科学を理解しなくてはならない。・・・科学的根拠がないといわれて、伝統的な農業技術が途絶えてしまった。堆肥の重要性を説いていたお年寄りは、経験でわかっていた。一番大切なのは、経験。失敗して、正しい農業技術を身につけ実行しなくてはだめ。
カレンダーにある「一粒万倍日」に種を落とすと、三日ぐらいで発芽する。
二つ葉を虫は食わない。貝割れは、二つ葉でピリピリ成分があるので虫は食わない。それを人間はおいしいと言って食べている。二つ葉の野菜は食べないほうがいい。
糖度を測る機械はない。濃度を測っているだけ。塩水3パーセントも砂糖水3パーセントも濃度の値は同じになってしまう。糖度何パーセントというのは当てにならない。
人間がうま味を感じるのはナトリウムのせい。塩分にナトリウムは含まれている。ポテトチップスを食べ過ぎたりして人間がナトリウムを過剰にとるとカリウムが体から出ていく。すると「味蕾」が破壊され、味音痴になってしまう。
じゃがいもの芽を食べると中毒になるというのは嘘。じゃがいもの実が日に当たって緑色になっているものが一番こわい。緑色の下にソラニンという物質ができてしまう。体の弱い老人や幼児は食中毒をおこすことがある。じゃがいもは、「肥料をやったら土をかけ」を繰り返していくとたくさんのいもができる。
移植について
たまねぎは芽が出てから55~60日の間に植え替えをするといい。
一年生野菜は30日までの間に植え替えをする。
ブロッコリーは25日苗を買って植えるといい。
トマトは60~70日で移植する。
さつまいもは、苗を寝かせて小さい石でポンポンとおもしをして植える。光の当たるところから発生した根っこに実がつく。これが蓄積根(おいもになる根)。吸収根はいらない根でこれを育ててもいもはできない。さつまいもは、1メートル以上つるを延ばさないこと。
植物を健康に育てるためには管理が大事で、そのためには植物の性質を理解して育てなくてはならない。
農業指導に行くとき、植物と向かい合ってじっと語り合い、植物の声を聞いていろいろな課題を解決するための方法をその場で見つけ出すよう努めている。

 講演会の第二部は、申哲敏氏の講演で、演題は“韓国版脱サラ農業者の暮らし”。

氏はとても響きのあるきれいなエスペラントで講演され、佐藤さんが日本語に訳し、後半は氏の奥さんが講演され、通訳は松田さんでした。
はじめに、毛虫が柱に群がって頂上をめざして必死に登り詰めようとしている絵本を提示し、これが都会の競争社会の中でもがいている人間の姿だと話され、そんな都会暮らしをいつまでも続けて自分たちの夢を失いたくないと、10年前から二人で考えるようになった。それで、3年前、勇気を出してソウルから田舎へ、人口500人ぐらいの小さな村へ移った。家賃はただ。3千平方メートルの田んぼを手に入れ、農業の初心者としての生活を始めた。
一年目は、田の半分が雑草で覆われ、二年目は、田んぼを二つに区切り、半分は稲作、他はピーナツ、とうがらしなどを植えた。水田の水の調整が難しかった。雑草を食べてくれるジャンボタニシを放す時期も間違えてしまった。三年目の今年の収穫は増え、小地主になるというわたしの夢が実現した。
農業で考えていることは、
1.お金のために耕作面積をふやさないこと、現在の広さが一人で耕すのにはちょうどいいから。
2.お金を得るために自分自身を苦しめない。
3.田舎生活の中でお互いの趣味を分かち合って生活すること。

奥さんの話から

田舎暮らしを考えた時、どうやって生計を立てていくのか頭の中で考えるだけではみつからない。ずっと考え続けても結論がなかなかでないので、まず、田舎へ移ってしまった。それから生計をどう立てるか考えた。田舎へ移る前に夫婦でまず、鍼灸を習った。村に医療がなかったから。二人とも生まれながらの都会人で田舎暮らしに慣れていなかった。主人は報道写真家だったので写真が得意だった。私はもともと自由学校の教師だったので、週一回田舎の自由学校で教える教師になった。
私は文章を書くのが得意。息子も文章を書くのが好きなので、「家族だより」を出すことにした。「田舎へ行こう」というタイトルがついている。月1回の発行だが、毎日文を書き綴った。・・・実際に引っ越してから物事がうまく運ぶようになった。今では200家族がこのブログの読者になり、私たちの生活を支援してくれている。農業については初心者なので町に住んでいる人に支援を頼み、私たちの生活を支援してくれる人に無農薬の農作物を提供した。田舎では私たちは貧しいけれど、たいへん幸せな生活を送っている。
息子ははじめ、家で自習することを選んだ。2年間家にいて、お父さんのピーナツの収穫を手伝ったり、柿をむいて干し柿作りを手伝ったり、鶏や犬の世話をしたりした。2年後のある日、普通の学校へ行くことを決め、1年だけ行った。
私たち家族は金持ちではないが、それぞれが夢をもちながら生活している。息子もいろいろなことを自己決定している。
私たちは、毛虫の柱で象徴される競争社会から抜け出す決心をしたが、皆さんの中でそう考える人がいたら一緒に競争社会から抜け出そうではありませんか。
私たちは今後もずっと田舎の生活を楽しんでいくと思う。それぞれが自分の望むことをしているので幸せだ。この静かな田舎の生活では考える時間がたっぷりあることが貴重だ。いつも夢をもって、夢の実現に向かって生活している。

質疑応答では、放牧の方が農業より楽ではないか、と聞かれ、金儲けのための放牧は考えていないと答えられていました。また、地域の人とのつきあいについて質問がありましたが、「私たちは、地域の人に変人と思われているかもしれない。でも、夫は鍼灸が得意なので、時々頼まれて治療に行っている。鍼灸が地域との交流に役に立っているようだ。」とおっしゃっていました。また、韓国の教育事情についても話が及び、あっという間に時間がきてしまいました。
講演の後、短時間ですが懇親会をもちました。小久保先生に直接、家庭菜園で困っていることを丁寧に教えていただき、有意義な「ふれあい講演会」でした。

小久保先生PTAコーラス