La Vento 357

La Vento

N-ro 357   2014. 9月号

Suita Esperanto-societo
吹田エスペラント会会報  発行:矢野義男 吹田市山田東2-25-13
郵便振替 00970-0-319578   年会費 6000円  準会費 2400円
ホームページ http://suita.chu.jp


訃報のお知らせ

吹田エスペラント会の会員だった藤田寿男さんが、平成26年8月4日にお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈り申しあげます。冗談をよく言われて、いつもにこにこされていて、お年よりもずっと若くみえる藤田さんの突然の訃報に、まだ、信じられない感じです。藤田さんのお兄さんの吹田エスペラント会会長の矢野さんが、藤田さんの人柄と最期のご様子を知らせてくださったので、掲載します。

最愛の弟藤田寿男帰幽の事
矢野義男
平成26年8月4日午後9時23分、74才にて天に帰っていきました。
23年前に最愛の妻を亡くして、一人で二人の男子を育て、それぞれに独立して、孫5人と、とても賑やかな一家をなして逞しく生活を営んでおりました。酒が何よりも好きで、とても朗らかな酒なので端(はた)の者が楽しくなります。私の知る限りで、五代先の家系で云いますと、長男は酒は全然駄目で、次男坊は一升酒という不思議な家系です。私も一滴も駄目ですが、寿男は一升位はペロリと飲む方です。飲めばよく喋るので皆不思議に思っております。若い頃は洋服の販売員として店頭に立つようになり、人としゃべることが随分と身についたようです。子どもが小さな頃は、二人の子どもに剣道を習わせ、中学に入れば二人ともサッカーに全力投球。現代にもまだ続いています。父兄を連れて応援などに休日は走り回っておりました。これでも彼は心臓の手術を6回も受け、人工弁が入っております。7回目にペースメーカーを入れて元気に過ごしておりました。酒と心臓とは無関係ですね。不思議なことです。共にサッカーで戦った息子の友達、世話になった青年たち、50人程が、告別式に、「おじさん、ありがとう。」と言って大泣きする者大半。こちらも、もらい泣き。面倒見のいい、優しい奴だったのでしょう。結婚と同時に私方の祖母の姓をつぐべく藤田の養子となり、以来、藤田を名乗ることになりました。本部(亀岡、綾部)へも皆を車に乗せて連れていってくれるのに皆に重宝がられて、気安く行動を起こしておりました。
26年6月12日、前触れもなく腹が少しづつ膨れだし、少しおかしいとて済生会病院へ入院し、検査の結果、胃癌との事。腹水がたまっている、手術は出来ない、抗癌剤治療しかないとの事。あれあれ。二か月程前に体がだるいと行きつけの医院へ。結果、潰瘍が出来て貧血気味だ、早期だから薬でおさえられると。少し元気になったところだったのですが、その時にしっかりと検査しておればと。後の祭りですがね。身内の者で交替に病院にいって馬鹿話に笑わしておりました。元気で過ごしておりましたからその時息子たちに一か月持たば良いのだがと聞き、信じられませんでした。本人は、知らない事で、本人はこんなものに負けてたまるか、元気になって社会復帰すると意気込んでいたので、その気があれば自然治癒力も増す事だからと励ましておりました。本人の意志を尊重してやろうと言っておりますと、腹水は溜まってどんどん大きくなります。一時間半かけて2,000㏄の腹水を抜きますが、血液ばかりです。一遍に抜けばショック死をするから時間をかけるんだそうです。抜いた後、200㏄の輸血をします。1回目の時、医師は子供たちにここ二、三日が山やと言っておられたそうです。腹はへこまないまま、五、六回腹水を抜きました。飲まず食わずで点滴のみ。これで生命を保っていただけなのでえらいと思ったものです。良き事に、痛まず、苦しまず、大本信徒の特効か、神様のおかげと信じたいですね。孫の内、一人女の子がおりまして、男ばかりの中の紅一点、これが又爺様好きで、爺様も何でも言う事をきくという好々爺でした。心肺停止。機械が線を引きかけた時、孫娘がとびこんできたので、皆が呼んで声をかけてやれと。孫娘が大声で「お爺ちゃん、遅くなってごめん、今まで色々ありがとうね。」と手を握って話しかけたら、本人は何の反応もないのに心拍を示す機械が、また、ピット動き出した事です。徐々にまた、ゆるやかに山を作っていましたが、そのうちにゆっくりとだんだん一本の線となりました。医師が瞳孔を見、心肺停止を告げられたのです。良かったと思います。この孫娘との別れの瞬間は、びっくりの体験でした。
吹田エスペラント会にも10年余り力を貸してくれ、多くの友を持ち、また、信仰の友もたくさんおります。通夜、告別に延べ400人程参列していただき、彼の人となりを再度見直した思いです。湯灌の時に、息子たちに腹はどうなっているか見届けてくれと申しておきますと、「おっちゃん、腹はぺこんと元通りになっていたよ、不思議な。」と云っておりました。私たち、教主様からお聞きしておりましたのは、死んで少し時間がたてば知らぬ間に血液は天に帰ってしまうと聞いておりましたから、さもありなんと思いました。美しいふっくらしたハンサムな顔で帰ってゆきました。死に顔がその人の救われた様相だと伺っております。94才の父、101才の母を先に見送って若いのにとの思いもありますが、親孝行をしたと私は思っております。神様のお許しをいただき、お神酒をいただいている事でしょう。また、蔭ながら、エスペラントの普及にも力をかしてくれるでしょう。神様という親元へ帰って、しっかりと仕事をし、家族の繁栄をしっかりと見守ってやってください。生前、君がした事は多くの人の胸の中に残っておる事です。静かにお休みね。
では、またね。

作家で作詞家のなかにし礼さんの詩大反響!

毎日新聞の「特集ワイド」(7月15日付け)になかにし礼さんが発表した詩「平和の申し子たちへ!泣きながら抵抗をはじめよう」への反響が毎日新聞に手紙やファクスで続々届いたそうです。また、ネット上での声もひろがったということで、エスペランティストの堀泰雄さんのことが紹介されていました。(吹田エス会の佐藤守男さんが記事提供)

「私たちもまた、貧しい暮らしの中で、死ぬまでずっと泣き続けるでしょう」 「日本の皆さんに連帯の気持ちを送ります」。前橋市、元世界エスペラント協会理事、堀泰雄さん(72)は、ユーゴスラビアの内戦で家を失ったというセルビア人からのメールを何度も読み返した。エスペラントは、国際共通語を目指し、1880年代に考案された人工言語。使用者は世界に約100万人いるといわれる。
中西さんの詩を読み、「世界に発信したい」と夢中でエスペラントに訳した。「エスペラント関係の700人規模のメーリングリストに詩の翻訳を掲載すると、世界各国の人から反響があったんです」
イラン人からは、「戦争が何をもたらすのか、私自身もよく知っています。美しい詩の翻訳をありがとう」。フィンランドからは「日本の憲法解釈が変わってしまうのは大きな損失です。戦争を拒む国がもっと増えますように。」 (8月3日付け毎日新聞より抜粋)

なかにし礼

1938年、中国牡丹江市生まれ。「石狩挽歌」「北酒場」など数々のヒット曲を
作詞。小説では1998年「兄弟」、1999年「長崎ぶらぶら節」(直木賞)、2001年「赤い月」
「ぼく自身も泣きながら、ですから。日本がこんな国になってしまって悲しくて仕方がない。特定秘密法を先につくって、次は集団的自衛権。『戦争だから』と自由に発言できない時代はすぐそこです。」
終戦後、満州からの引き揚げ途中、何度も命の危険にさらされた。兄は特攻隊の生き残り。近著「天皇と日本国憲法 反戦と抵抗のための文化論」には「日本国憲法は世界に誇る芸術品」と書いた。

なかにし礼の詩と堀さんがエスペラント訳したものを次に載せます。

平和の申し子たちへ
泣きながら抵抗を始めよう
なかにし礼
2014年7月1日火曜日
集団的自衛権が閣議決定された
この日 日本の誇るべき
たった一つの宝物
平和憲法は粉砕された
つまり君たち若者もまた
圧殺されたのである
こんな憲法違反にたいして
最高裁はなんの文句も言わない
かくして君たちの日本は
その長い歴史の中の
どんな時代よりも禍々しい
暗黒時代へと戻っていく
そしてまたあの
醜悪と愚劣 残酷と恐怖の
戦争が始まるだろう
ああ、若き友たちよ!
巨大な歯車がひとたびぐらっと
回り始はじめたら最後
君もその中に巻き込まれる
いやがおうでも巻き込まれる
しかし君に戦う理由などあるのか
国のため?大義のため?
そんなもののために
君は人を銃で狙えるのか
君は銃剣で人を刺せるのか
君は人々の上に爆弾を落とせるのか
若き友たちよ!
君は戦場に行ってはならない
なぜなら君は戦争にむいていないからだ
世界史上類例のない
69年間も平和がつづいた

Al vi,infanoj de paco,
Plorante, komencu rezisti
Nakaniŝi Rei
Marde, la 1an de julio 2014
Kolektiva defendrajtoestis aprobita de la kabineto.
Tiun ĉi tagon la fierinda japana,
Unusola trezoro,
Nia paca konstitucio estis frakasita.
Unuvorte, ankaŭ vi, gejunuloj,
Estis premmortigitaj.
Tiun ĉi gravan atencadon al la konstitucio
La Plej Supera Tribunalo neniam riproĉis.
Sekve via Japanio
revenos al malluma epoko
pli abomeninda ol iam ajn
en nia longa historio,
kaj denove tiuj
malbelaj kaj stultaj, kruelaj kaj teruraj
militoj komenciĝos.
Aĥ, junaj geamikoj!
Kiam tiu grandega dentorado
Unu fojon komencis grince turniĝi,
Vi estos envolvitaj en ĝin,
Vole nevole vi estos envolvitaj.
Sed ĉu vi havas kaŭzon por batali?
Por via ŝtato? Por la plej lojara celo?
Pro tiaj kaŭzoj
Ĉu vi povos pafi homojn?
Ĉu vi povos bajonete mortigi homojn?
Ĉu vi povos faligi bombojn sur homojn?
Karaj junaj geamikoj!
Ne iru al batalkampo,
Ĉar vi ne estas taŭgaj por militoj.
Senprecedence en la monda historio,
En tiu ĉi ideala lando, kie paco regis 69
jarojn,
理想の国に生まれたんだもの
平和しか知らないんだ
平和の申し子なんだ
平和こそが君の故郷であり
生活であり存在理由なんだ
平和ぼけ?なんとでも言わしておけ
戦争なんか真っ平ごめんだ
人殺しどころか喧嘩もしたくない
たとえ国家といえども
俺の人生にかまわないでくれ
俺は憶病なんだ
俺は弱虫なんだ
卑怯者?そうかもしれない
しかし俺は平和が好きなんだ
それのどこが悪い?
弱くあることも
勇気のいることなんだぜ
そういって胸をはれば
なぜか清々しい風が吹くじゃないか
怖れるものはなにもない
愛する平和の申し子たちよ
この世に生まれた時
君は命の歓喜の産声をあげた
君の命より大切なものはない
生き抜かなければならない
死んではならない
が、殺してもいけない
だから今こそ!
もっとか弱きものとして
産声をあげる赤子のように
泣きながら抵抗を始めよう
泣きながら抵抗をしつづけるのだ
泣くことを一生やめてはならない
平和のために!
(2014年7月10日、毎日新聞夕刊)

Vi naskiĝis.
Vi spertis nur pacon.
Vi estas infanoj de paco.
Paco estas via hejmloko
Via vivo kaj ekzistkaŭzo.
Tro pacema? Lasu ilin kritiki vin,
Milito neniam plaĉas al mi,
Mi volas nek mortigi, nek eĉ kvereli.
Eĉ la ŝtato
Ne intervenu en mian vivon.
Mi estas malkuraĝa,
Mi estas timema,
Ĉu mi estas ruza? Ja, mi povas esti tia,
Sed mi amas pacon.
Ĉu tio estas kritikenda?
Por esti malforta,
Mi bezonas kuraĝon.
Kiam mi havas memkredon tiamaniere,
Ial ekblovas freŝaj ventoj,

Mi timas nenion.
Miaj karaj infanoj de paco,
Kiam vi naskiĝis,
Vi krietis vivĝoje,
Via vivo estas la plej valora,
Vi devas ĉiel pluvivi,
Vi ne mortu,
Nek mortigu.
Do, nun!
Kiel malfortuloj
Samkiel beboj ĵus naskiĝintaj
Plorante, komencu rezisti,
Plorante, rezistu,
Ne ĉesu plori dum via tuta vivo,
Por paco!
(Vespera ĵurnalo de la ĵurnalo Mainiĉi, la 10an de julio 2014)