La Vento 347

La Vento

N-ro 347   2013. 9月号

Suita Esperanto-societo
吹田エスペラント会会報  発行:矢野義男 吹田市山田東2-25-13
郵便振替 00970-0-319578   年会費 6000円  準会費 2400円
ホームページ http://suita.chu.jp


吹田市民文化祭参加エスペラントふれあい講演会について

プログラムのはじめに吹田第六中とヘリーコで「みつばちの子の巣立つ朝」を
歌います。この曲の作詩者は秋田雨雀、作曲者は山田耕筰、エスペラント訳者は
伊藤三郎です。山田耕筰と伊藤三郎については有名なので、秋田雨雀について、
ヘリーコの浅田和子さんにいただいた資料とメールを紹介します。

秋田雨雀について、去年10月までは、私(浅田)も、名前だけしか知らなかっ
たのですが、その生い立ちや、活躍した時代を考えると、非常に尊敬するべき人
であり生涯であったことに感動せずにいられません。アベノミックスとやらで、
国民を催眠にかけて、軍事力増大に持ち込もうとする動きが感じられるこの時期
だからこそ、この曲を心をこめて歌いたいと思います。

秋田雨雀(あきたうじゃく)1883年(明治16年)~1962年(昭和37年)は、
日本の劇作家・詩人・童話作家・小説家である。本名は徳三(とくぞう)。
産科医であった父玄庵(全盲であった)と、母「まつ」の長男として青森県南津
軽群黒石町に生まれる。東京専門学校(早稲田大学の前身校)に学び、恩師、島
村抱月の推薦により、「早稲田文学」に小説を発表。小説、劇作、詩、童話、評論
翻訳と幅広く活躍し、島村抱月主宰の劇団・芸術座の運営にも参加した。1915年、
来日したワシリー・エロシェンコと親交を結んでエスペラントを学び、彼と島村
ら文化人との交流を取り持った。
昭和21年には、小坂狷二と共にエスペラント教本『模範エスペラント独習』を
出版。1931年、「日本プロレタリア エスペランティスト同盟」の結成に参加した。
1947年、第一回参議院議員通常選挙に日本社会党公認で立候補したが落選。
日本児童文学者協会の第二代会長を務めたほか、東京都豊島区にあった舞台芸術
学院の院長を務めた。

また、平成21年6月11日の毎日新聞「今週のお宝」に掲載された記事も教えて
いただいたので載せます。

「みつばちの巣ばこにわれは耳あててはるかにも聞く春のおとずれ」
黒石市の御幸公園に立つ秋田雨雀(1883~1962、黒石市)の文学碑に刻まれてい
る短歌である。この歌は、現在も活躍中の児童文学者鈴木喜代春(1925~、田舎館
村)が、若き日に発行した学級文集「みつばちの子」に由来している。
鈴木は、51(昭和26)年に黒石小学校で4年生を担当。生活綴方(つづりかた)
運動に学んで作文教育に熱心だった鈴木は、生徒の詩や作文を学級通信「みつばち
の子」に載せて発行していた。52年、「みつばちの子」は日本児童文学者協会主催
の全国学級文集コンクールの優秀賞に選ばれた。当時、日本児童文学者協会の会長
であった雨雀は、郷里の小学校で出されていた学級文集「みつばちの子」を読んだ
ときの衝撃を回想し、次のように書いている。
「『蜜蜂の子』の綴方を読みながら、何か太い棒きれのようなもので向う面をなぐ
られたような気がしたと何かに記したことがあった。私は『蜜蜂の子』という文集
が出たときに、このような小さな詩を書き与えたことがある。

蜜蜂の子の巣立つ朝
蜜蜂の子の巣立つ朝
蜜蜂の子の声を聞け!
愛と自由に餓えて起つ
蜜蜂の子の声を聞け!
愛と自由の蜜をもて
巣箱に帰る日を待とう!
蜜蜂の子の巣立つ朝
蜜蜂の声を聞け!」  (『雨雀自伝』)

52年1月、雨雀は「みつばちの巣ばこにわれは耳あててはるかにも聞く春のおと
ずれ」と色紙に書いて鈴木に贈っているが、同じころ、この歌を大きな紙に書いて
黒石小学校に寄贈した。それが御幸公園の文学碑に刻まれ、53年10月17日に除
幕式が行われた。雨雀70歳の年であった。
浅田さんは、雨雀のこの詩には、戦争が終わって言論の自由を取り戻した時に、
巣箱から飛び立っていく蜜蜂のようにエスペラント語が自由に世界へ飛び立ってい
くことを願う雨雀の願いが暗示されているのではないかと思うとも、言っていまし
た。当日は、この詩の作られた時代背景も会場の人々に知ってもらってコーラスを
聞いていただけたらいいなと思います。      (矢吹あさゑ)

矢野明徳さんのこと

矢野さんの「阿波カメリア椿展奮闘記」をLa Ventoの4・5月号から掲載さ
せていただきましたが、矢野さんは阿波カメリア椿展の2か月後の4月1~3日
に徳島市内の医療法人東洋病院でも椿展を開催されたのです。その奮闘記も、
メールで送ってくださいましたが、とても長いのでその中の脳卒中のリハビリと
ハリ治療の関係の記述が興味深く思われたので要約して載せさせていただきます。

矢野さんは闘病のこの3年間、整体、アロマテラピー、最新の治療薬:ボト
ックス注射(3か月に1回,計6回注射、1回10万円)、ハリ治療と、いいと思わ
れる治療には藁をもすがる思いでいろいろ試されてきたそうです。

「頻尿、腰の激痛の治療、便秘の治療、と次から次と襲ってくる脳卒中の後遺症
に幾度となく悩まされ、その都度、この大宗先生と長山先生に症状を訴え、危機
を乗り越えてきたものだ。特に腰の激痛の治療は効果があり、当時のことを思い
出すと本当に感謝の気持ちが湧き上がってくるものだ。現在でも体の重心が右へ
偏って歩行していることにより首の脛骨が曲がり、神経を圧迫していることで、
右手にシビレが発生し、治療をお願いしている。実に真面目に時間との闘いと思
って辛抱強く通院しているのです。ほんとうにお世話になり、今更ながらハリ治
療のすばらしさを実感しています。
この東洋病院に通院してから2年半になろうとしていた。体の調子も大分良く
なってきたので、お礼の意味も兼ねて椿展をすることは意義のあることだと自分
で判断していた。それというのも、ハリ治療の長山先生は治療をされる時、いろ
いろと体調を気遣って頂き、また、言葉巧みに患者の日常の出来事を引き出させ
る会話のコツが絶妙に上手だった。私の趣味が椿だとわかると、椿に関する思い
入れを話させて頂いて、いつしかこの病院で椿展ができたらいいのになあと思う
ように導いて頂いた。これも何かのご縁であろうと思っている。」

矢野さんは、東洋病院の先生たちと出会い、ハリ治療だけでなくご自身でも
椿を育てて椿展を開いて大勢の人々に喜んでいただくという生きがいを見つける
ことができ、更にそのことがリハビリの効果を高めることにもなったんですね。
矢野さんは、椿だけでなく、家の稲作にも挑戦しているそうです。障害者にも
できる稲作についてのレポートは次回に掲載させていただきます。
矢野さんはとても意欲的で、この10月に東京で開かれる日本エスペラント大
会に参加されるそうです。受付の仕事もヘルパントとして手伝うそうです。
矢野さん、気をつけて日本大会に行ってきてくださいね。

平成25年度吹田市民文化祭参加  エスペラントふれあい講演会

第1部 朗読劇とお話
★ 朗読劇:シャプラニール=市民による海外
協力の会(認定NPO)の台本による
『人生を変えたバングラデシュの女性たち』
★ お話: 斎藤和子さん

第2部 フェアトレードファッションショー
飛び入り歓迎!!

★共催 吹田エスペラント会・吹田市・吹田市文化団体協議会
問い合わせ:06・6877・1953(矢野)