La Vento 380

La Vento
N-ro 380    2017年 6月号
Suita Esperanto-societo

吹田エスペラント会会報  発行:矢野義男 吹田市山田東2-25-13
郵便振替 00970-0-319578   年会費 6000円  準会費 2400円
ホームページ http://suita.chu.jp


豊中・池田エスペラント会主催の第65回関西エスペラント大会が6月3日(土)~4日(日)に大阪大学会館で開催された。その報告です。
報告:その一
今年の関西大会は6月3-4日に大阪大学会館で開催された。来年の大会を吹田で引き受けた関係で、参加する人はそれぞれ何を求めているのだろうか、少しそういう目で見ながらの参加となった。
会場は立派過ぎるくらいの設備と広さ、その分自由にリハーサルというわけにはいかなかったのではと想像した。コンパクトにまとまっていて、迷うこともなく部屋から部屋の行き来が出来た。
1日目は午後から、恒例の入門講習会や外国人と話す会などの後、公開番組があり、阪大のコーラスTempestの迫力ある歌声で、広い講堂での意味があった。
一般の人の参加もかなりあったようで、福点さんとエスペラントとの出会い、堀泰雄さんの情報発信と人と人との繋がりを築く道具としてのエスペラントの活かし方についての話は、説得力があったのでは、と思う。
これに続くプログラムもTagordoの表をみても完璧にみえる。
gaja vespero のマイクの具合が良くないとか、公演中の照明や音響に通じた係がいなかったりしても、ではどうすれば、といわれるだろう。
スタッフが十分で無いのだから、、bankedoに至っては、大学生協を通じてのケータリングで通常より、質量ともに、優っている。時間が短かったり後片付けに参加者の協力が必要だったとしてもお釣りが来る。
1日目はかくして、改良すべき点も見つからないまま終了。後で聞いたが、小さなグループで大学内のtrinkejoでお喋りを楽しんだ若いひとたちもいたとかで、恐らくもっと親密な会話が弾んで、こちらの方がお目当という人たちもいるのではないかと思う。
2日目も分科会も程よい数と種類で、並行番組が多すぎて迷うということもなかった。地方会の活動が高齢化などで、停滞気味なのをどうやって解消するか、の情報交換をテーマにするものが定番化。そのなかで、小浜の北川昭二さんから聞いたことについては、報告その2で書きたい。
本を並べたテーブルの大きさと本の数の多さに、担当の人たちの労力とご苦労を想像した。
車が入れて、エレベーターがあるとは言え、段ボールの数はどの位になるのかしら。
大会のシンボルマークも秀逸、記念切手も目を引くユニークさ。大会郵便局もその労力が報われていたらいいのですけど。
駅から会場までの道のりがかなりなもので、道標も立て看板の準備も撤去も大変だったのでは無いかしら?
お弁当のゴミだって大変な量。人手不足でどう対応するかが・・・名案を出さねば。
開会式と閉会式 の全プログラムにおいての位置や手法を変える余地があるか、を再度
点検すること、少人数での省力化など。大会後みんな疲れ果ててしまわないよう対策を今後考えることが課題として残った。
( 松田洋子)

矢野明徳さんは、4月23日に徳島にフランス人がこられたので、阿波の十郎兵衛屋敷に案内されたそうです。浄瑠璃が初めてなので、明徳さんがEP語に訳して前もってフランス人に読んで頂いたのですが、全く理解してもらえなかったそうです。そのときの浄瑠璃のエスペラント訳を松田さんと佐藤さんに添削していただいたので掲載します。

近松門左衛門作阿波の十郎兵衛の物語
Rakonto de Awa Juroube per la scenaristo Cxikamatsu Monzaemon( 1953~1725)
題目:傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段
Titolo ; Keisei Awa no Naruto   Pilgrim-kantado

画像の説明

En la 23-a de marto franca s-ro Gerard kaj sia edzino Gigi venis al Awa-Juroube dometo,kiu estas najbare de mia hejmo. Mi kaj s-ino Kitani cxicxeronis ilin.
Mi tradukis tiu cxi rakonton en esperanto jene.

S-ro Awa Juroube, kiu estis vasalo de grand-majstro en Awa (Awa estas malnova nomo de gubernio Tokushima), estis suspektita kaj ekskludita de lia klano pro la perdo de lia ricxajo( t.e. glavo), kaj lia majstro ordonis lin, ke li reprenu la glavon, kaj post gxia repreno revenu al sia kastelo. S-ro Awa Juroube decidis enfali en la kamarado de rabistoj por sercxi la glavon kaj translogxis el Awa(Tokushima) al Osako kun sia edzino Ojumi. Ankaux dauxre cxiu tage oni aktivis por aresti malbonulojn, kiu sxtelis glavon.

阿波十郎兵衛は主君の阿波藩主君の家来だったが、家宝の刀が紛失したことにより詮議をい命じられました。帰参を願う十郎兵衛は盗賊の仲間となって、女房のお弓と共に大阪に住み、悪人を探し日夜刀の行方を追って辛苦しています。

Kiam Ojumi gardis domon sola,sxi recivis leteron, kies enhavo estis pri sia edzo falinta en kanajlon. Ojumi estis tre simpatia al sia edzo, do sxi pregxis al Dio kaj Buddo por lia senkulpeco.
Kelkaj jaroj pasis de kiam ili forlasis ilian filinon. La filino Otsuru subite aperis antaux la patrino Ojumi, en figuro de pilgrimino, sercxante siajn gepatrojn. Otsuru petis logxi en la domo de Ojumi. Otsuru diris al Ojumi ,ke sxi piediris per si mem de Naruto al Osako por vidi siajn gepatrojn, kiuj forlasis sxin en la infanecaj tempoj.
Patrino Ojumi abrupte doloris al si la koron. Jen tiu pligrimino estis sxia filino, kiu estis forlasita en hejmloko. La junulino Otsuru tute ne sciis ke sxi estas sia patrino, kaj alvokis al sxi elkoran deziron,ke sxi volas vidi siajn gepatrojn, kaj ke sxi volas gastig^i cxe sxi.

お弓が一人で留守番をしている時、十郎兵衛の悪事が発覚したとの手紙が届きます。お弓は夫を思いやり、神に願いをかけるのでした。
夫婦が子供と遠く離れて暮らすこと数年、巡礼姿となって親を探して現れたのが我が娘。一夜の宿を求めて現れた。幼い時に別れた両親を尋ねてはるばる鳴門から歩いて来たと語るお鶴の身の上にはっと胸を突かれるお弓。この巡礼の娘こそ、故郷に残してきた我が娘でした。お鶴は彼女が自分の母親だと知らずに、自分の両親に会って親への思慕を訴えたいのでしばらくここで泊めてくれと言う。

Auxskultante tion, Ojumi sentis ,ke sxi volas konfesi, ke sxi estas la patrino kaj volis preni sxin sur siajn brakojn. Tamen patrino Ojumi ne povis diri sian cirkonstancojn. Sxi timis, ,ke Otsuru estos imputita al si la krimon de la patro Jxurobe, kiel la rabisto . Do Ojumi malgrauxvole malmoligis sian koron kaj konsilis al sxi reveni al Naruto por siaj gepatroj en hejmloko.
Tamen Otsuru supozis ke Ojumi estas sia patrino kaj ankaux petis al sxi “Enlogxigu min cxi tie.” S-ino Ojumi sentis ke sia koro preskaux krevos auxskultante sxiajn vortojn.
Tamen Ojumi forpelis Otsuru eksteren,

これを聞いてお弓は自分が母であると言えず、今すぐにでも抱きしめ母親と名乗り出たい思いにかられた。しかしお弓は盗賊の罪が我が娘に及ぶことを恐れてお弓は心を鬼にして、国へ帰るように諭します。
しかしお鶴もなぜかお弓が母親のように懐かしく感じられ、このままここに置いてくれと頼みます。そんないじらしいお鶴の言葉にお弓の胸は張り裂けそうになりますが、泣く泣くお鶴を追い帰します。

Forpelinte Otsuru, Ojumi atente auxskultis sxiajn vortojn. Otsuru kantis :“Mi gxuis koran favoron el gepatroj―――,Ne rompi mian jxuron al si “esperante revidon―――. Tiam finfine Ojumi plorante falis sur la teron.
Ojumi sentis ,ke se sxi lasos sxin, sxi neniam povos revidi sxin. Patrino Ojumi kuris lasinte sian domon, postkuris sian filinon Otsuru. .

お鶴の去ったあと、門口で耳をすますと、「父母の恵みも深き粉川寺、仏の誓い、たのもしきかな    」と悲しげな巡礼の歌が聞こえてきます。それも次第次第に遠ざかっていくと、お弓は門口にすがりながら、我が娘を見送り、こらえきれずにその場に泣き崩れるのでした。
しかし 今別れてはもう会われぬ身の上と思い直したお弓は住家を跡にしてお鶴の後を追いかけます。

吹田エスペラント会の皆さん!
これからやらなくてはならないことがいっぱいです。
11月3日の市民文化祭ふれあい講演会
12月のザメンホフ祭
来年の第66回関西エスペラント大会
皆で協力して乗り切りましょう!!

吹田エスペラント会のみなさん、
11月3日の南千里の市民センターでの市民文化祭ふれあい講演会、
12月のザメンホフ祭、
来年の第66回関西エスペラント大会
とこれから、やらなくてはならないことがいっぱいです。みなで協力して
やりきりましょう!!