La Vento 350

La Vento

N-ro 350   2014. 2月号

Suita Esperanto-societo
吹田エスペラント会会報  発行:矢野義男 吹田市山田東2-25-13
郵便振替 00970-0-319578   年会費 6000円  準会費 2400円
ホームページ http://suita.chu.jp


  Fericxan Novjaron!

すみません。もう、2月も半ばなのにLa Ventoの発行をさぼっていたので、新年の挨拶がおくれました。世界的に大雪や大洪水などの異常気象が相次いでいて、どうも地球温暖化の影響が大きいようです。インフルエンザやノロウイルスも流行しているし、…。なにか暗い気持ちを救ってくれるようなニュースはないかと私たちは冬季オリンピックの日本選手の活躍に期待をかけすぎてしまったようです。でも、その重圧を跳ね除けて、スノーボードの男子ハーフパイプでみごと銀メダルと銅メダルを獲得したのが15歳の平野歩夢君と18歳の平岡卓君でした。二人とも「今までやってきたことを出し切れた。楽しかった。」「緊張はなく、楽しくすべれた。」とインタビューに答えていました。互いに切磋琢磨しあってきたから、本番で実力を発揮できたんだろうと思います。二人の若者の爽やかさに触れてちょっと気分が明るくなりました。

さて、矢野さんが昨年の9月に原稿を書いてくださったものを遅くなりましたが、2回に分けて掲載します。

背広を着て稲作作りをしよう(その1)
矢野明徳

今年も稲刈りの季節がやってきました。私の家では350年前から代々お米作りが家業として行われてきました。現在約1.2ヘクタールでお米を作っています。
退職して、のんびりと稲作づくりをしようと思っていましたが、脳卒中でその思いはかなわず、現在は女房と息子の嫁が主体となって働いています。
私は脳卒中で倒れて、最初の1年~2年は病人として扱ってくれていましたが、3年もなると、私を労働に担い手として扱ってくれなくなり、相談もなく女房が主体として作業が進んでいくようになりました。これは当然のことですが、一家の主人としての面目がたちませんし、何とか、障害者でも農業に従事し、稲を作りたいと思うようになり、体調も少し良くなったので、自分の心に自立の精神が芽生えてきました。
「お年寄りの仕事を取ってはいけません」、「障害者に仕事を与えなさい」と世間で一般的に言われていますが、最近この言葉の意味が実感できるようになりました。
いくら年をとっても自立の精神を持って社会の役に立つ、これは生きることそのものなのです。
私の最近の稲作の体験について実例をお話します。
稲作は昔は3Kのひとつでしたが、自動化し、省力化して楽しい仕事にすることにより、跡継ぎ者も増えるし、TPPを迎え撃つ方法を見つけることができると最近信じています。
このような考えのもと、私は「右手、右足だけで稲作をしよう」、このスローガンを自分で作って実践に励んでいます。「背広を着て稲作をしよう」とも言っています。自分の家の稲作について考えてみると、2つの大きな欠陥がありました。1つはトラクターの運転です。もう一つは袋詰め工程でした。
以下、米作りの作業工程について説明します。
(1) 元肥の施肥(最初の作業)
一般的に基肥と呼ばれるケイ酸肥料や土壌改良剤(石灰等)を投入する必要があります。この作業は以前は手動で行っていましたが、自動的に定量の肥料を蒔く機械をトラクターの後ろに装着することで省力化が可能となった。
(2) 耕起作業
まず、耕起作業としてのトラクターですが、昔のトラクターはクラッチ方式でギヤチェンジが必要でした。私は左足でクラッチを踏むことができないのです。最近の自家用車ではほとんどノークラッチになっています。左足を使わなくても運転できます。ノークラッチのトラクターがないかどうか調査しました。最新のトラクターはほとんどノークラッチで運転席は冷暖房付きのキャビンになっています。結構高価ですが、今年の4月の田植え作業前に購入し、田植えの耕起作業を行いました。実に快適でした。作業も効率的で全く服が汚れることはありませんでした。
将来、トラクターにGPSを装着して、田んぼの4隅の位置をコンピューターに記憶させると、携帯電話の操作で自動的に耕起作業ができるようになるでしょう。
(3)田植え作業
田植えの作業は田植え機で自動で作業が行われます。毎年5月の連休に息子が手伝ってくれていますが、操作はノ-―クラッチになっています。右手だけで作業ができます。息子は歌を歌いながら田植え作業をしていました。ただ、苗の装着は手動です。この作業は改良の余地があります。この作業が自動で可能ならば、この田植え作業もトラクターと同様携帯電話で操作が可能になるでしょう。
(4)施肥
施肥は自動的に同じ田植え機で稲の苗の植え付けと同時に行われます。肥料は稲の成長と同時に有効成分が溶解するようにできています。これで施肥は完了です。
(5)水の管理
次に水の管理は手動ですが、国の補助金によって農業用水の配管が田に引き込まれていますので、バルブ一つで水がでてきます。実に簡単なのです。現在は手動ですが、将来は水位計を取り付けて携帯電話から自動で管理したいと考えています。
(6)消毒と除草
基本的には種モミの消毒と稲の病気(いもち病)の薬と殺虫剤と除草剤をやります。稲のいもち病の薬は田植え前の苗にふりかけ、除草剤は田植え後に、紙の袋に包まれた薬剤を田んぼに投入します。必要に応じて、カメムシ対策に殺虫剤を1回やります。これで終わりです。除草剤は、投入後に紙の袋が水に溶けて、除草剤が拡散するようにできているのです。手作業はありません。
(7)稲刈り、脱穀
次は稲刈りです。コンバインという機械で稲を刈り、脱穀が同時に行われます。この機械も右手だけで操作ができます。その場で脱穀してコンバインのタンクにはいります。このタンクが一杯になると警報がなります。軽トラックに大きなモミの貯蔵タンクを乗せて、コンバインからこのもみタンクにスクリューコンベアーで自動的に移送します。その後、自宅の納屋まで車で運び、このモミをスクリユーコンベアーで乾燥機へ移送します。
(8)もみの乾燥
乾燥工程では、灯油を燃料として、一昼夜この乾燥機で乾燥させます。一定の水分値になると自動的に停止します。夕方スタートし、翌朝には乾燥が終わります。これで稲刈りの翌日に籾摺りが可能になります。乾燥機から排出される廃棄ガス中には粉塵が多いので、また周辺には家屋が近いので、私はこの排気ガスを水で洗浄して大気放出するように改造しました。昔の乾燥機には排ガス洗浄装置は無かったのです。
(9)籾摺り
籾摺り工程も自動です。もみと玄米に分離し、もみがすり終わると自動的に計量機に送られます。ただ、籾摺り機で出てきたモミガラを袋に入れ替えをする作業は手動です。作業環境が悪く、何とか改善の余地があります。来年改造する予定です。
(次号へ続く)

佐藤さんが読まれた本の書評を書いてくださったので載せます。

《RECENZO》
“ Leteroj el Koreio” (Verkita de Lee Jungkee…Ŝlosilo)
Samo

Tiun ĉi libron mi donace akiris de la verkinto Ŝlosilo mem hazarde en trajno survoje al la kongresejo, 100a Jubilea, en Tokio.
Memore li subskribis sian nomon malantaŭ la kovrilo. Tre afabla li estis-as kaj mi leginte ĝin eksciis ke li havas multe-multajn amikojn tra la tuta mondo.

En la lasta paĝo li mem skribis ke ĝis nun li inkluzive 14 UK-ojn partoprenis en la Esperanto-eventoj, kiuj okazis ekster Koreio.
En ĝi li menciis pri kelkaj miaj japanaj konatoj kaj mi sentis pli intimecon.

Ĝia enhavo konsistas el eseoj, traduko, taglibro el vojaĝo, raportoj kaj salutmesaĝoj. Ĉion facile legeble kaj kompreneme pri lia aktiveco kaj fervoreco por Esperanto-movado. Longe li estis respondeculo de Seula Esperanto-Kulturcentro(SEK), kiu estas la centro de la korea Esperanto-movado kaj ankaŭ kontribuas kiel la estro de KAEM(komisiono de UEA por azia Esperanto –Movado) post s-ro Hori Yasuo.

En la parolado de SEK li emfazis jene:
Tutmonde la plej serioza alfrontita problemo de la nuna Esperanto-movado estas ‘maljuniĝo’. Se ne naskiĝos novaj bakitoj, organizaĵo malaperos. Tio estas la vera maksimo tra Oriento kaj Okcidento kaj tra ĉiuj epokoj. En esperantujo, se ne plu naskiĝos navaj esperantistoj, nia estonteco estos nebula.

Fakte li detale raportis pri la universitata Esperanto-edukado en Koreio. Ni bone povas scii lian klopodon, entuziasmon por studentoj kaj junularoj.
Ni ankaŭ devas cerbumi kaj barakti pri nia estonteco reale nebula.
(eldonita en la 20-a de majo,2013)