La Vento 452

N-ro 452    2023年 11月号
La VentoSuita Esperanto-societo

吹田エスペラント会会報  発行:矢吹あさゑ 吹田市南金田2-4-4
郵便振替 00970-0-319578   年会費 6000円  準会員は 2400円
ホームページ http://suita.chu.jp

 吹田市民文化祭参加エスペラントふれあい講演会終わる

  2023113日(金・祝)午後1時半からメイシアター小ホールでエスペラントふれあい講演会を開催した。参加者は17名。新会長の矢吹の挨拶の後、講演会が始まった。

司会は矢吹。

 演題は「ハンセン病問題を知る」~ハンセン病回復者のお話~。初めに講師の紹介。

山城清重さん:1942年に島根に生まれる。小学4年、10歳の時に長島愛生園に入所、1962年、19歳の時に社会復帰する。迷惑をかけてはいけないと家族と連絡を取らずに一人で暮らし、2019年に57年ぶりに故郷に帰り、お兄さんと再会する。今も一人暮らしだが、デイサービスでリハビリのためのゲームとカラオケを楽しんでいる。

  佐藤芙優子さん:小学生の時から吹田エスペラント会参加の市民文化祭に4回ほど紙芝居、エスペラント朗読などで参加。ポーランドの世界エスペラント大会の子ども大会にも参加。

現在は、岡山大学大学院保健学研究科看護学分野助産学コースで学ぶ。高校生の時、ハンセン病回復者の方と出会いハンセン病問題に関心を持つようになり、大学生の時に経験した闘病生活を機に、現在はハンセン病回復者の方のお話を聞き、つなぐ活動をする。

 初めに、プロジェクターを使ってハンセン病について佐藤さんが説明された。どんな病気か、かかるとどんな症状が現れるか、早期に治療されないと後遺症が残ること、「らい菌」という細菌に感染することで引き起こされる感染症だが、1940年代に作られた薬、プロミンのおかげで治療薬の開発が進み、現在では完治する病気になっている。

 ハンセン病問題とは、国の誤ったハンセン病対策によって回復者や家族の人権が侵害された人権問題だ。明治からその歴史を見ていく。欧米に並ぶことを目指していた政府にとって「放浪患者を国家の恥と考え、1907年に患者を療養所へ隔離する法律、「癩予防に関する件」を制定する。1931年「癩予防法」の制定。家で治療をしていた患者も本人の意思とは関係なく強制的に隔離。1953年「らい予防法」が制定され、ハンセン病に対する偏見や差別がさらに助長される。療養所は患者が逃げ出さないようにと島や僻地に作られた。

また、病気が治っても療養所から出ることができなかった。患者の出た家は消毒を吹きかけて見せしめのようにされたので、国民の恐怖心をあおった。患者の家族も就職や結婚をこばまれ、一家心中や自殺に追い込まれることも生じた。療養所内の患者は家族に迷惑をかけないようにと偽名を求められることもあったそうだ。

 回復者の方々のハンセン病問題の捉え方はさまざまだが、その中の一人、今日は山城清重さんからお話を聞く。インタビュー形式で佐藤さんが山城さんに質問しながら進行。

 どんな幼少期を過ごされたか:山奥。体が弱く栄養失調で生きられないと思っていた。

4年の時、病気の症状が出た(それが「らい」とは自分は知らなかった)。おやじに「旅行に行こう」と言われ、自分だけと不思議に思ったが、うれしかったのでついていった。

江川(ごうのかわ)を渡ると白衣の3人に囲まれワゴン車に乗せられカーテンを閉められたので、子どもながらに不思議に思った。島の「回春寮」へ入るなり疲れて寝てしまった。

 長島愛生園へ初めて来たときの気持ちは:おやじに騙されたと思った。

 いつ、自分がハンセン病にかかっているとわかったか:ある日、「少年寮」で養子に行った兄に会い、病気の事、ここへ来たら肉親とは二度と会えないことを聞かされた。ショックで自殺の名所へ行って死のうかと思ったが、おばさんに声を掛けられやめた。

 少年寮では:親子ぐらい年の離れた人と5人部屋で。小学生が多かった。学校はすぐ近くにあった。小、中、高校もあった。後に子どもが増えて分校もできた。

 偽名について:社会復帰したいという気持ちが強かったし、親への恨みはあったがいつか会いに来てくれるかもという期待もあったので、偽名を使わず、本名で通した。

 愛生園の生活:農作業や軽症の人は重症の人の世話をした。山城さんは自治会の仕事を手伝って小遣いをもらっていた。親しかった自治会の先輩が京都で社会復帰をした。

 社会復帰:先輩が呼んでくれたので、ハンセン病のことを隠して履歴書を作成し、京都のパチンコ店に就職。47年間勤める。ハンセン病の事をひた隠しにしていたので苦しかった。病気になっても病院へ行かずに売薬で治した。

 お墓の事:全国の療養所では故郷へ帰れない人のために納骨堂が作られている。山城さんはハンセン病回復者支援センターのおかげで、語り部として島根で発表した時に、57ぶりに故郷に帰り、お兄さんと会え、その家族とも会え、ハンセン病の事を理解してもらえたので感謝している。その後、お兄さんのお墓を作るときに、お金を出し合い、お墓を山の上から下に移した。将来は自分もそのお墓に入るという。

 今は:支援センターの原田さんに「家族は家族で大変だったんだよ」という言葉を聞き、自分の事しか考えていなかったんだと反省。家族の苦しみに気が付いた。病歴を隠すのをやめ、テレビや新聞などで社会にアピールして自分のことを理解してもらって、差別をなくして皆が楽しく暮らせるような社会にしたいと思っている。自分のことは主張しようと思うが、他の人には無理強いはしない。支援される方は、できる範囲で、自分の生活を守って支援してください。私は息がある限り、人に頼らず、この活動を頑張っていきたい。 

 山城さんの今の生き方を素晴らしいと思った。佐藤さんの生き方――疑問に思ったことを、いろいろ調べて、常に自分の事として考えていく姿勢にも感銘を受けた。今の社会にはさまざまな差別や偏見があるが、本日の講演でハンセン病問題について正しく理解する

一歩が踏み出せてよかったと思う。

最後に副会長から終わりの挨拶。「ザメンホフは平和を望んでいたので、どうしても現在争いが起きているパレスチナのことに触れざるを得なかった。お互いを認め合うことがどうしてできないのか。強い側、イスラエルが寛容な精神を示して戦争を終わらせてほしい」と。                                (矢吹)

   

 

山城清重さん     佐藤芙優子さん       終わりの言葉(副会長:佐藤守男)

  • 例会学習より

<簡明エスペラント辞典を使って>自分が知らなかった単語を2~3選び、短文を作る。

(1)① brogi(p.21)熱湯にさらす、②bombasta(p.20) 大言壮語、

bigota(p.19) 頑固な

Mizera afero okazis ke brogi infaneton pretekste ke bombasta eduko necesas.

Tiel la bigota malsaĝa patro mortigis la etulon.

(2)① bindi(p.19) 製本する

  Antaŭ longe mi protokoladis kunvenon kaj post elfariĝo de protokolo mi

grupigis la protokolojn de unu jaroj kaj ili estis ledebindita per entreprenisto.

brajligi 点訳する

Antaŭ longe mi ricevis kurson de brajlo, poste ni komencis brajligi iun liblon

dividinte en grupojn. Sed ni ne povis perfektigi pri la libro.

(3)① celebri(p.23)祝賀する ② burvardo(p.22) 大通り ③ cinika(p.24)冷笑的な

Ofte oni paradas por celebri pri ia venko sur bulvardo, tamen ofte malvenkitaj

grupoj estus cinikaj.

(4)① bulbo(p.22) 球根  ② burĝono(p.23)

 Post mi plantis bulbojn de tulipo en florpoto, mi ĉiam atendis ilian

burĝonon.

Kiam la tulipo burĝonis, mi estis tre ĝoja.

(5)① cindro(p.24)

 De antaŭ kelkaj jaroj mi disverŝas organikan cindron 有機灰 sur la tero

por kulturi diversajn legomojn. Ĝi estas fabrikita sub tiuj cirkonstanco de

450℃ kaj senoksigera aero. Tiu cxi organika cindro solviĝas kun akvo kaj

havas karakterizajon preventi virusojn. Mia amikino diris, ke tiu ĉi

substanco ankaŭ estas efektiva por zostro 帯状疱疹 per trinkado de 100cc

po unutago.

(6)ĉifro(p.27) 暗号、暗証番号

 Decidi malsanajn ĉifrojn estas tre ĝena, ĉar mi mem forgesas ilin.

(7)vivdaŭro(p.29)寿命

 Oni diras, ke nun en japanujo la meza vivdaŭro de la virinoj estas 88jaroj.

(8)deĵori(p.30) 当直する

 Kiam ni veturis per ambulanco al hospitalo en dimanĉo, la juna interna

kuracisto deĵoris kaj ĝentile ekzamenis mian edzon.

(9)depeŝo(p.32) 急な知らせ

Lastatempe depeŝoj veninta al mi estis malbonaj sciigo pri parencaj mortoj.

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 北摂ザメンホフ祭のお知らせ

 

  日時 : 2023年12月17日(日)午後1時半から

  場所 : 千里山コミュニティーセンター(BiVi千里山3階)

創作室

      (阪急千里山駅下車2分)

  内容 : 各ロンドの出し物 その他

  ***吹田エスペラント会の担当です。できるだけ参加しましょう。