La Vento 373

La Vento
N-ro 373    2016年 7月号

Suita Esperanto-societo

吹田エスペラント会会報  発行:矢野義男 吹田市山田東2-25-13
郵便振替 00970-0-319578   年会費 6000円  準会費 2400円
ホームページ http://suita.chu.jp


第64回関西エスペラント大会終わる!
6月18日(土)・19日(日)に、堺エスペラント会と富田林エスペラント会の主催で、堺市の「ビッグ・アイ」で第64回関西エスペラント大会が開催された。吹田エス会からは、佐藤、松田、大畑、近藤、矢吹が参加。

関西大会に参加して
矢吹あさゑ
(1日目)
・大会前遠足に参加。朝9時にJR天王寺駅に集合。路面電車(阪堺線)に乗り、高須神社
駅で下車。鉄砲鍛冶屋敷を外観して山口家住宅へ。静かな町並を歩いていくと刃物屋さん
が多いのに気が付く。鉄砲づくりの町の歴史を垣間見る。山口家は江戸初期に建てられた
町家で近隣農村の庄屋を務めていたそうだ。広い土間、板間、多くの座敷、二つの土蔵な
ど、町家暮らしの一端を知ることができた。庭には枡形の二重になった手水鉢があった。
「ますます家が繁栄するように」との願いがこめられているとか、興味深かった。
阪堺線綾ノ町から乗車、宿院下車。与謝野晶子生家跡と千利休屋敷跡を見て「さかい利
晶の杜」へ。一階が千利休茶の湯館、二階が与謝野晶子記念館になっていた。晶子に子ど
もが12人いたこと、生家が羊羹で有名な駿河屋だと知る。晶子の本の凝った装丁に改め
て感動。遠足はここまでで解散。今度は、南海バスで堺東駅へ向かう。駅で案内してくだ
さった三津さんたちと昼食をとり、南海電車泉北線の泉が丘駅で下車。会場へ向かった。
・午後1時からの分科会は浅田さん指導の「エスペラントで楽しむ歌」に参加。Gaja Vespero
で歌う4曲を練習した。
・午後2時半から吹田エス会の近藤さんと一緒に開会式に参加。その後3時から公開シンポ
ジウムが開かれた。パネリストの岡崎春輝、かどや・ひでのり、北川郁子の3氏の講演の
後、討論。学校教育やビジネスの世界において英語偏重が進行するなかで、民衆の交流言
語としてのエスペラントの役割と可能性について考えた。エスペラントの公平性は広く知
られているが、実用性についてもっと一般の人に働きかけていく必要があると私も思った。
吹田エスペラント会では、毎年市民文化祭の一環としてふれあいコンサートや、ふれあい
講演会を開催し、細々とエスペラントの紹介はしてきているが、実用化していないので大
いに反省させられた。
・Gaja Vesperoに参加。最初に、浅田さんの指導で山野さん作成のビデオ画面を見ながら「花は咲く」を皆で合唱。次に池田エスペラント会の狂言「鬼の子」が披露された。私は
ザメンホフ祭で聴いていて2回目だったので、とてもわかりやすかった。「みんなで歌い
ましょう」では浅田さんの指導のもとHelikoや有志が前に出て、“Esperanto estas la
Lingvo por ni” “Antaxu du jaroj” “La kvieta pasio”の3曲を歌った。最後は、増井正典さんの腹話術だった。私はここまで参加して1日目は帰宅。
(2日目)
・朝、9時過ぎに会場の3階のお茶席へ行く。三津さん姉妹がたててくださる抹茶をいただ
く。10時からは相川節子さんの「作文教室」に参加。よく使う前置詞 al, de, sur, en, pro, por などについて、練習問題を使って、わかりやすく教えていただいた。
・午後1時から、朗読劇の会場へ近藤さんと入る。劇中で歌われるモルダウの歌唱指導と日
中友好協会大阪府連合会の会長の挨拶の後、劇団息吹の朗読劇「戦時下反戦放送・エスぺ
ランチスト長谷川テルの生涯と遺児暁子」が始まる。劇団員の豊かな声の響きに魅了され
る。暁子が亡き母に呼びかける形で民衆の友好と連帯のために反戦活動を続けたテルの生
涯が表出されていく。とても感動的だったので、隣席の近藤さんは、涙を流されるほど。
・最後は午後3時から向後千春氏の公開講演を聴く。演題は、「ザメンホフの国際語思想と
アドラーの共同体感覚」
アルフレッド・アドラー(1870年~1937年)はオーストリア出身の精神科医・
心理学者・社会理論家。フロイトやユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法
を確立した一人。アドラーはフロイトの共同研究者だったが、1911年にフロイトのグ
ループとは完全に決別し、個人心理学(アドラー心理学)を創始した。
アドラーの言う「共同体」は自分を取り巻く家族や社会だけでなく、国家、世界、宇宙
全体まで含まれる。「共同体感覚」とは、「他人の眼で見て、他人の耳で聴いて、他人の心
で感じること」、「人は人類全体の一部であり、全体のために生きていると感じること
である。人類全体の共同体の「善」のために自分の能力を発達させそれを協力的な方法で活
かすための努力をしなければならない。それは人類を戦争のない幸福な世界へと導くだろう。
言語の違う民族間の争いをなくそうとエスペラント語を考案し、それを世界に広めて世
界平和を願ったザメンホフの考えにこの共同体感覚を加えていけば、「人類を戦争のない
幸福な世界へと導く」ことができるかもしれないと思った。

“誰かが始めなければならない。他の人が協力的ではないとしても、それはあなたには関
係がない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかな
ど考えることなく。“
アルフレッド・アドラー『人生の意味の心理学〈下〉』(アルテ)より
一歩を踏み出さなくては・・・。
佐々木安子さんの近況報告
矢吹 あさゑ
昨年の10月にご夫婦で安心して暮らせるケアハウスに転居された佐々木安子さんに会いに、7月15日、大畑さんと庄内駅で待ち合わせて行ってきました。
入り口で訪問理由を記入して二階へ。ノックするとご主人が出迎えてくださいました。安子さんは、ちょうどお風呂に入れてもらった後ということで、車椅子に腰かけてとてもさっぱりしたお顔でした。大畑さんはわかったようでしたが、私は、・・・。
今年の1月に安子さんは子宮の病気で入院されて以来、3食ともおかゆ食になってしまい、食事量が減ってしまったので、ご主人は朝食をパンにしたり、和食のおかずを買ってきたりして、安子さんの食事量を少しでも増やそうと配慮されているそうです。このケアハウスに転居する前、ご主人はいくつかのケアハウスに行って実際に食事状況も設備も調べた結果、ここを選んだそうです。1階には看護師が24時間常駐し、なにかあれば医師がすぐ来てくれるし、月2回の医師の定期回診もあり、常に健康状態をチェックしてもらえるそうです。シーツや掛布カバーの交換も定期的にしてもらえるそうです。
お二人のなれそめをお聞きしました。
安子さんは戦前、大阪市役所に勤務していたが、一時、岡山に疎開して戦後戻ってくると、元の職場に席はなく、清掃局の非常勤職員になったそうです。そのころ、京都から通っていた安子さんは童話を書くグループ「児童文学の馬車」に所属していて、童話を熱心に書いていたそうです。その同じグループに学生だったご主人もいて、知り合ったそうです。安子さんは、ゴミの中に捨てられた子豚をめぐっての周りの人々の議論や人間模様等を興味深く描いた童話を書かれ、それが当時、とても評判になったそうです。今から20年ほど前、私が吹田エスペラント会に入った頃の安子さんは、毎年、吹田エスペラント会の市民文化祭やザメンホフ祭の時の出し物で、いつも人形劇を中心になってやられていました。人形劇の台本――テーマ性のある台本をいつも書いてくださっていました。それに、私が引き継ぐまでずっと機関紙「ラベント」を編集してくださっていました。安子さんの物書きの原点はこの京都時代にあったのだと、私はご主人の話をお聞きして納得しました。
その後、安子さんは働きながら浪速短期大学に通い、保母の資格を取り、保母さんになり園長で退職されるまで30年余勤められました。保母の資格を取ろうと頑張っているときにご主人と結婚され、ご主人が食事等の家事を援助されていたそうです。社会で女性が男性と対等に働けるように奥さんに協力されたご主人も心の広い方だと、私は感銘を受けました。
ご主人が「安子さん」と声を掛けるたびににこっとやさしいまなざしを向ける安子さん。大好きなご主人にすべてをまかせ、本当にしあわせそうでした。また、田平さんとマルカリアン君枝さんからの絵葉書の写真にじっと見入って、毎年のように楽しんでおられたエスペラント世界大会を懐かしく思い出されているようでした。
「安子、また、世界大会へ行きたいか?」「行きたい。連れてって」
「安子さん、また、来ますね
と言うと、私たちを見送りにいくと階下へ。
玄関でドアが閉まるまでお互いに手を振り続けました。
以下の2枚は、5月29日に開催された、吹田市文化団体協議会創立60周年記念文化祭での吹田エスペラント会の展示会場の写真です。遅くなりましたが、お届けします。

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