La Vento 391

La Vento
N-ro 391    2018年 9月号
Suita Esperanto-societo

吹田エスペラント会会報   発行:矢野義男 吹田市山田東2-25-13
郵便振替 00970-0-319578   年会費 6000円  準会費 2400円
ホームページ http://suita.chu.jp

★ 第66回関西エスペラント大会を終えて、吹田エス会の反省会、懇親会を8月19日(日)に千里山で行った。参加者は、佐藤、松田、大畑、松川、矢吹の5名。「音羽鮨」で懇親会を兼ねて昼食をとった後、千里山コミュニティセンターのロビーで簡単な反省会と今後の活動について話し合った。
<大会の反省について>
・多くの方々の協力で、大会が成功してよかった。
・何よりコミュニティセンターの場所が規模的に適切で利用しやすかった。紹介してくれた松川さんに感謝です。(松田)
・「大会案内」や「大会報告書」を作成するのに、会員の中にワードとエクセルにたけた人がいなかったので、非常に苦労した。(佐藤、大畑)
・不在参加者への記念品の椿油の送付に予想外の費用がかかってしまったが、無事送付することができよかった。(大畑)
・矢野さんの冊子『日本の椿が世界をつなぐ』は何人かの方々にご苦労をかけたが、矢野さんにとって思い出に残るものとなってよかった。

<今後の例会について>
テキストは “ Ne tiel, sed tiel cxi! Konsilaro pri stilo” で「よい文体とは?」について学習する。

<初等講習会について>
しばらく開催できていないので、「2時間で学べるエスペラント入門」というような1日だけの講習会はどうか。場所は千里山コミュニティセンターでできればいいが・・・。

<11月3日の吹田市民文化祭参加エスペラント市民ふれあいコンサートについて>
タイトルは「野田淳子とともにうたう童謡と平和の歌」に決まった。
吹田第六中学校のPTAコーラス同好会も15分ほど出演する。

吹田エス会の会員の佐々木安子さんが、8月20日(月)午前5時35分に老衰のため逝去されました。大正12年(1923年)8月24日生。あと四日で95歳になられるところでした。葬儀は家族・親族で済まされたとのことです。心からお悔やみ申し上げます。

佐々木安子さんへ―ー―吹田エス会の仲間から

Mi sincere kondolencas s-ron, Sasaki, pri sxia forpaso.

今から8年前、長崎での日本エスペラント大会で安子さんにお会いしたのが最後になりました。
当時、ご主人様のつきそいで、来れたとおっしゃっていました。長い間、吹田エスペラント会でご活躍いただきましたが、夢のような遙かかなたのよき思い出となってしまいました。有難うございました。ご冥福をいのりつつ。               (佐藤守男)

佐々木さん、長い間有難う!
そもそも始まりは、故木下忠三さんがほぼ一人で吹田エスペラント会を支えておられた頃だと思う。南千里の公民館を毎週予約して誰も来なくても本を持って行って2時間座っているという気力だけで 頑張っておられる姿をみて、取り敢えず、勉強会をと木下さんを講師に佐々木さんと3人でMartaを読み始めた。機関誌 La Vento も古いガリ版刷りのものを下敷きに復活させた。
幼稚園の先生だった佐々木さんは、小さな几帳面な字で大学ノートに図入りの編集計画を書き、会員名簿、アンケート、講習会参加者名簿など、今は大畑さんが受け持っていてくれる煩雑な事務を一手に引き受けてくれ、徐々に一人前の地方会の体裁を整えていった。久しぶりの入門講習会に20数名の参加者を集めた時は、どのように募集したか手記も書いたほどだった。
メイシアターで毎年開催された市民文化祭には人形劇の上演が恒例となり、台本も人形も手作りで、わざわざプロの人形劇団クラルテに習いに行くほどの熱のいれようだった。
今では時代が大きく変わってしまったが、大変面白い時期に数々の試みを共に実行してくれた心強い仲間だった。
長い間お疲れ様でした。そして何より有難う。           (まつだようこ)

La Ventoの灯を引き継いで
私の母と同い年の佐々木さんは、20年ほど前、初めてお会いした時から何となく身近に感じられる存在だった。人形劇にも誘われ佐々木さんのマンションで練習したことが何回かあった。参考になるからと、人形劇団クラルテの観劇にも誘っていただいた。何度も世界大会に参加される佐々木さんのバイタリティーに、私はいつも感嘆するばかりだった。
EVA(Esperanta Virina Asocioエスペラント女性協会)で女性の社会的自立と解放を追及する運動にも精力的に活動され、晩年は、EVAの歴史を冊子『EVA50年の歩み』にまとめることに精魂を注がれ、KLEG 賞を受賞された。
独り居を静岡で通していた私の母には、佐々木さんのことを事あるごとに話し、「お母さん、年だからとあきらめずにいろんなことに挑戦してね。」と励ましてきた。その佐々木さんが、母より先に逝かれてしまうとは……。
佐々木さんは、3年前にケアハウスに転居され、女性の生き方にとてもご理解のある優しいご主人と穏やかに余生を送っておられた。大畑さんと一緒にケアハウスを訪ねた時の佐々木さんのご主人に向ける優しいまなざしが、今でも私の眼裏に浮かんでくる。
佐々木さん、吹田エス会の機関紙La Vento は今も引き続き発行させてもらっているよ。時々、挫折しそうになるけれど、佐々木さんのエスペラントへの情熱を思い出し、これからも続けていくつもり。
佐々木さん、お疲れさま。ありがとう!!
ひょっとしたら、今頃、天国で人形劇の台本を書いて上演しようと奮闘されているかも・・・。
心よりご冥福をお祈りいたします。                 (矢吹あさゑ)

「佐々木さんとの出会い」
新聞の案内欄でエスペラント教えますを見て、習い始めて1年ほど経ったころ、gvidantoの判断か佐々木さんに教えを受けることになった。30年余り前のことです。場所はJR塚本駅から歩いて10分超のマンションの1室。それまではコピーの資料をsemoを使って単語を調べ、読み方はその都度聞く程度だったのが、「新エスペラント講座」を使っての学習になった。1年近く経って、世界大会――エスペラント発表100周年記念大会――(1987年)がポーランドのワルシャワであり、佐々木さんの勧めで急に参加することになった。言葉も十分にわかっておらず世界大会に参加なんてまだまだとしり込みしていたが、こんな機会は滅多にないという佐々木さんの言葉に押されて決まった。佐々木さんはシベリア鉄道でポーランド入りのコース。私ともう1人はJEI企画の成田から出発でポーランド入りのコース。初めての外国旅行で心細いことこの上なかったが、今はいい思い出である。
また、今は解散してないが、平成2年の鶴見緑地での「国際花と緑の博覧会」をきっかけに人形劇グループ「チェーロ」を佐々木さんが立ち上げ、人形制作、舞台づくり、物語づくりにとその積極的な活動には驚かされた。
いい思い出をいただき、ありがとうございました。          (大畑賀代子)

話好きの思いやりのあるあたたかな人、佐々木さん
ある時、それまで指導されていた佐々木さんに代わって、私がお年を召された一原さんと差し向かいにエス語の勉強をするようになりました。初めはローマ字読みができず、一字一音を読めなかった一原さんですが、だんだんと確りと読めるようになってきました。例会が終わって帰る道々、佐々木さんから「貴方よく頑張ったな!私は面どくさくなって嫌気がしていたのに、よく一原さんをここまで教えてくださったわね。」と褒めて頂いた事もありました。
日は忘れましたが、初めてお目にかかった時、吹田エス会の創始者の一人だとお聞きしました。とてもとっつき悪く、話にくい人だなと思ったものですが、進んで話し掛けていったら、気持ちも変わるだろうと思い、週一回の会合を楽しみに参加していました。自身の勉強にエネルギーを使うのはいやだから、余計な話しはしたくないとおっしゃっていた佐々木さんでしたが、なんのなんの慣れれば話し好きの思いやりのある、知識の深くお持ちのあたたかな人と解り、話もはずむようになって、エス会の現在に至るまでのいきさつなど時々、皆様が出揃うまでの間よく話をしていただいたものです。
年とともに体調を崩されて長らくお目にかからなくなって、寂しい思いでしたが、ご主人さまから元気の由のハガキによって少し状況が解ってほっとしていましたのに、矢吹様から訃報を聞いてびっくりしている次第です。
現界での仕事、すべてなし終えて天界へ帰られました。ご先祖の方々、友人、知人とは神様の御許しを得て一度はお目にかかれるそうです。落ち着いて御自分の住まいが定まったら、自分の好きな事をして日を過ごすそうです。確りとエス語を知らない人たちにも教えて楽しい日々をお過ごし下さいませ。ご冥福をお祈りさせていただきます。    (矢野義男)

一本筋の通った女性、お茶目な面も・・・
佐々木安子さんが8月20日にお亡くなりになったと後から聞いて大変驚きました。
まだまだ元気にデイサービスにも通ってらっしゃるとばかり思っていました。
安子さんは、長年教育現場で働かれただけに一本筋が通った女性でしたが、一方で船場など昔の大阪の商家のご出身ということで普段は何か「こいさん、いとはん」を感じさせるようなお茶目な雰囲気のある方でした。
「EVA50年の歩み」を出版する際、原稿の文字うちのお手伝いをさせていただいた時はよく市内のお宅にお伺いしました。
今となってはそれ以降、大阪市内から豊中に移られてから一度もお会いできなかったのが心残りです。
ご冥福をお祈りします。                       (森脇保)

佐々木安子さんの訃報を御家族から拝受しました。御冥福をお祈り致します。
(篠原陽介)